2017.10.07

マンガ、読んでみよう

おはようございます。皆さま。
ご機嫌いかがでしょうか?
わたくしは収集している漫画の新刊が出ないのでご機嫌斜めです。
しかも曇天、いまにも雨が降りそう。
ああ、やだなぁ。

■何度も読む漫画

そういえば、「漫画好き」と一言にいってもさまざまなカテゴリがあります。なのになぜか一括りにされがちな漫画好き。「やまさん、漫画好きだから、○○知ってるでしょ?」って、知らねーっての。
皆さんの趣味にもなぞらえてみてください。
グランジとかEDMとかの人に、ジャズとかクラシックのこときいても「は?」てなるでしょ?
ロードバイク乗りに電動自転車聞かれてもわからない!
歴史小説好きなのに、スニーカー文庫のこと聞かれてもわからないでしょ?
漫画もわからないものは全くわからないんです。
(そして、漫画好きがみんな『ワンピース』読んでると思わないでください。)

と、話は逸れましたが漫画好きと漫画普通(?)の人との違いって何でしょう?簡単に言えば「好きな漫画は何度も読む」か「一度読んだらもう十分」かの違いだと思います。
漫画好きは「何度も読む」のです。しかしこれ、なんででしょうね?
ちょっと分析してみたいのですが、「何度も読む」ってどんな行動でしょうか?自分の場合は「1巻から読む」のではなく、「好きなシーンのあたりから」読みます。前半のキャラの起こし方とかその辺はすっ飛ばします。寄生獣が空から降ってくるシーンではなく、「ミギー、ぼ、、、防御頼む」『防御!?』です。

また話が逸れましたが、実はこれは僕だけの現象では無いようでした。調べてみると様々な考証がなされています。
「何度も読めば理解が深まる」
「怒り、悲しみ、憎しみ、喜びを享受する」
「他人なれる楽しみ」
「予定調和の安心感」
「単純に絵が好き」
などなど・・・。

と確かに一面をとらえている気がしますが、
なんか納得いきません・・・。

と、先日うちの社長と話をしているときに
一つだけ納得が行く解答が出てきました。

結論からいうと社会心理学の「モデリング」という作業らしいです。
要は「模倣」です。

こう聞くと「気持ち悪いやつ」ですが、我慢して最後まで読んで下さい。
『模倣』という言葉に抵抗感がある人は多いと思いますが、
人間のみならず生物の本能として『模倣』という行動があることは社会心理学では古くから知られています。
社会を生きていく中で成功者(もしくは成功しそうなもの)を真似るのはいたって普通の行為なのです。

ここまで聞いてもそこそこ「ヤバイヤツ」ですよね。
マンガのキャラを「成功者」と見るのか?って。
だって悟空がフリーザに勝ったからと言って
それを模倣して自分が界王拳をつかえるようになるわけではないのですから。

しかし模倣の対象は、何も行動にだけではありません。
その『考え方』『生き様』『姿勢』など、
さまざまな”心”に作用を与えてくれます。
イチローの自叙伝や松下幸之助の本が売れるのと同じ、
ゴム人間になって手が伸びなくてもルフィに共感するのと
ヒットを3000本打てなくてもイチローの精神を学ぶのは
同じなのです。

「いや、実在の人物じゃなくてマンガじゃないか」
と言いたい人もいるでしょう。

模倣に関しては「実際目の前で起きたこと」や「現実」である必要はなく、スクリーンの映像や演劇、戯画(要は漫画)なども有効であると知られています。
その模倣の大前提は「その模倣対象が自分より優れている(模倣対象として価値がある)」ことになります。つまるところ、『憧れ』なわけですね。

憧れる、ゆえに模倣し、模倣したいがために「コンテンツに触れる」です。それを何度も繰り返し模倣を修正するわけです

もちろん、どれだけ憧れても世界はゾンビが闊歩するようにもならなければ、火星にゴキブリ退治にいくこともなく、春秋戦国時代に大将軍を目指すこともありません。
しかしその話のキャラクター達に流れる考えや思考を模倣し、理解する事である種の多様な自分へのアクセスの架け橋になってくれ、自分の成長を促すのです。

■天気と憂鬱について

さて話はガラッとかわりますが、
天気が悪いとなんとなく嫌な気持ちになりませんか?

「雨が嫌」というのは共感できるのですが、憂鬱は言い過ぎです。
「曇りが憂鬱」とか(自分で言っておいて)もう言いがかりレベルです。

何故なら「曇り」による被害は皆無です。
(日焼けとか抜きにして)
たしかに雨は自分が濡れますし、
曇りでは洗濯物が乾かないのですが
晴れの日が来ないわけではなく
むしろ雨が無い方が人間困ったことが多いのも事実です。

しかし理屈ではわかっていても
どうしようもないことありますよね。

そういうときには理屈を超えた何かが必要だと思います。
自分はそれこそが「癒やし」と呼ばれる世界だと思います。
「癒やし」というと非科学的なものばかりだと思われていますが
要は「理屈だけでは説明できないものに立ち向かう屁理屈」のようなものだと思っています。

「雨の日は憂鬱」という心に
いろんな理屈を並べるより
「雨の日が好きになる小説」や
「雨の日に聞きたくなる音楽」
「雨があるから晴れになる!!!」と
トンデモ理論を言い切る主人公が勝つマンガを読む、
そんな感じでいいんだと思うんです。

憂鬱になる人は考え過ぎだ、
と言いますが、まさにそれで
本当は答えが出ないものの答えを探そうとして
迷子になっているのだ、と自分は思います。

じゃあ、その答えは・・ですが
迷子は誰かについていけばいいのです。

バカだけどみんなにバカ正直でみんなに好かれる主人公、
見た目は子供、頭脳は高校生名探偵の、どう考えても偶然で乗り切っているアイツ、
サッカーが好きすぎて頭身までおかしくなってしまったが、世界中のサッカー選手が憧れている彼・・

自分が向いたいところに向かっているっぽい誰かのあとについていけば
きっと気がついたときには、悪くないところにいけます。

だから1つ、憂鬱な気分のときのために
キンドルに愛読書をいれて読んでみましょう。

記入者:愛読書が入りすぎてiphoneの容量が大変なことになっている山中